生物化学研究室の歴史
生物化学研究室は2021年に百周年を迎えました。ここに、生物化学研究室の創設から現在に至るまでの歴史を記します(本稿は2021年に発刊された九州大学農学部百周年記念誌に掲載されたものです)。
生物化学講座創設期

農芸化学教室
1923(大正12)年~1933(昭和6)年焼失
生物化学講座は、1921(大正10)年4月に開設され、同年6月東京帝国大学助教授の奥田譲が助教授に任ぜられ、1922年1月初代の講座担当教授となった。ついで、同年5月北川松之助が助手に着任し、1924年9月助教授に昇任し講座の陣容が整った。
講座の研究史は、1924年の奥田教授による含硫アミノ酸シスチンおよびシステインの新定量法に関する論文が発表されたことに始まる。ついで、翌1925年北川助教授によるフィターゼに関する論文が発表され、ここに生物化学講座における酵素研究の第一歩が踏み出された。さらに、1929(昭和4)年北川助教授は、ナタマメから新規アミノ酸カナバニンおよびカナリンを発見し、その構造を解明した。この研究は世界的にも高く評価され、その業績に対し1940年農学賞が授与された。以後、蛋白質と酵素に関する研究は生物化学講座における主要研究課題として今日まで引き継がれている。
奥田教授は1934年農学部長に選ばれたが、翌1935年海外学術調査のためこれを辞し、1940年再び農学部長に選ばれて 1942年1月まで在任した。その間、講座の人事にも異動があり、1940年4月北川助教授は農芸化学第三講座担当教授に任ぜられ、その後任として佐々木周郁講師が同年7月助教授となった。
太平洋戦争中および戦後期

農芸化学本館(農学部6号館)
1938(昭和13)年~1972(昭和47)年
1941(昭和16)年から1950年に至る10年間は、太平洋戦争開戦、終戦および戦後の混乱の時期で、研究・教育上困難を極めた時期であった。このような状況下にあって、1943年9月に奥田教授が定年退官し、翌1944年10月名誉教授となったが、1945年11月九州帝国大学の最後の総長として、また1949年から新制九州大学の初代学長として混乱期の大学の再建に貢献した。
この間、北川教授が第2代の教授として生物化学講座に戻ってきたが、不幸にして就任間もない1944年12月9日逝去した。一方、佐々木助教授は 1943年5月に蚕糸化学研究所主事に任ぜられ、その運営にあたったため、1945年1月に農産製造学講座助教授に着任した船津勝が生物化学講座の運営に関与した。1949年5月蚕糸化学講座の新設により、佐々木助教授が同講座担当教授として転出したため、船津勝助教授が生物化学講座に助教授として復帰した。
北川教授の後任として、1947年2月元台北帝国大学教授大島康義が第3代の生物化学講座担当教授に着任した。大島教授は戦後新しい研究方法として生物化学の研究を一変させたクロマトグラフィーを駆使して、カテキン、フラボン、ハエドクソウ、タンニンなどの植物成分に関する研究を展開したが、終戦直後病に伏した船津助教授に次ぎ入院加療を余儀なくされ、その間の講座の運営は菊谷元資助手(長崎大学名誉教授)により行われた。大島教授は1960年タンニンの化学研究により日本農学賞を受賞した。